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転職人生

 自分では「こんなものか」と思っていたこれまでの人生だが、世間から見るとかなり変わっているらしい。息子が友達と話していて「お前のオヤジかなり変わってるな」と言われたと聞いて改めて認識した。

 

 というわけで、今までの職業生活の話。

 

 20台のころはソニーでエンジニアをしていた。

 プロフィールにも書いたように業務用録音機器の設計などしていた。(詳しい話は会社の守秘義務ということであまり詳しくは公開出来ないけど、時効もあるしこの程度は許されるでしょう。)

 プロフィールページにも書いたことだが、機材の音決めのためのサウンドチェックをしていた時に「ここでサウンドを変えるには、回路の細部をいじるより自分が音楽の現場に行った方がよほど変わるのではないか?」と思い、ソニーをやめてしまった。

 

 やめる時に会社には「今までの経験を踏まえ、コントラバスで何とかしたいと思います」と言ってやめた。学生の頃九響にもトラに行っていたし、少なくともしばらくはコントラバスで頑張るのが良いのかなと思っていた。
 しかしやはり30近くの年からではプレイヤーよりも棒振りの方が可能性あるかもと元プロの人に言われその気になった事、ちょうどそのタイミングで秋山和慶先生が洗足学園で指揮教室をはじめる事を聞きそこに誘われたこともあって、目標を指揮者にしました。 

 ソニーをやめたときの上司の皆さん、別に嘘をつくつもりはなかったのです、許してください。(ただ、会社の先輩たち等は「どうせ指揮者って言いだすぜ」と言って立派な木の譜面台をプレゼントしてくださいました。今でも大事に使っています。ありがとうございます。)

 

 というわけで洗足学園の「指揮研究所」というところで勉強することになりました。第1期生です。試験はコントラバスの実技で受けました。正規に音楽大学に通うよりははるかに安い授業料で秋山大先生のレッスンを受けられることになったのは本当にラッキーでした。

 

 で、サラリーマン時代の貯金を食いつぶす時期であった事もあり、実家暮らしとはいえバイトをしないといけない。昼間音の出せる時間はピアノをさらう必要があったので、早朝から午前中で稼げるということでパン屋で働きました。


 最初はヴィドフランス相模原店(ヤマザキパンのフランチャイズ、途中一度潰れたが経営会社が変わっても引き続き働けた。)でも、演奏会(市民オケの本番)のためしばらく休む必要があった時にバイトだと我儘も言えないので一遍退職。演奏会後は別なパン屋で働く(サンレモという店、天然酵母・自然食系パン屋この時は朝3時からだった!)。同様の理由でそこをやめた後は「ルモンド」という普通の個人経営町パン屋さん(でもここのフランスパンは絶品!)、にお世話になっていました。一度パン職人として認められると、他のお店に移るのは容易になったのを実感した。

 それやこれやで早朝から午前はパン屋でバイト/午後は音楽の勉強&市民オケなどで活動などしているうちに10年たってしまいました。

 

 39歳の時にタカラヅカのオーディションで拾ってもらい(デビューは40歳)約20年は宝塚です。(社員ではなく優先契約という形でした。)宝塚時代も色々移動がありました。最初は宝塚本拠地⇒新東京宝塚劇場オープンに伴い東京勤務⇒宝塚に戻されるが、同じ公演を担当するため東京と宝塚を行ったり来たりする生活。といろいろありました。

 ちなみに宝塚時代にレコーディングの仕事で、自分の関わったレコーダーでの録音だったこともあります。自分が設計したマシーンでミュージシャンとして仕事をしたなんて人はこの世には私しかいないかも。

 

 60になる前にタカラヅカとの契約を解消しました。この辺のいきさつについてはデリケートな問題もありますので詳しくは申せませんが、打ち込みや同期演奏が主流になってきて自分的には音楽的につまらなくなってきたこと。母が介護が必要になってきたこと(東京公演の時は実家から日比谷に通っていたのでかなりくたびれてきたことを実感した)などがあります。

 

 で、神奈川に戻り、母の介護をしながらの生活になりました。当初は「宝塚の仕事をする前も市民オケの仕事もしていたのだし、プロとして約20年指揮者をしていたのだからアマオケなどからの仕事の話は当然沢山来るのだろう」、と思っていた。甘かった。ホームページなんぞ立ち上げてみたが全然お呼びがかからない。

 なので当初は介護と両立するように不動産屋のチラシ配りという時間に融通のきくバイトをしていた。もちろんそれでは全然生活費には足りなく、妻にかなりキツい現場系派遣の仕事などさせてしまった。苦労をかけた妻には感謝です。

 で、介護生活が長く続くかと思ったら、母は意外に早く逝ってしまった。

 

 なので、チラシ配りではなく、まとまったバイトを探す。
 ここで、以前に10年くらい働いていたスキルが生きましたね。高級食パン系のお店で職人として働く(身分はバイトだが)。しかし数年のうちにコロナも始まってしまった上に高級食パンブームもそろそろ終わり、あっけなく店つぶれる。


 どうしようかと他のパン屋でバイト先探す⇒コロナ渦中でなかなかうまくいかず「飲食一般にターゲットを広げても良いか」と思い捜したところ今のバイト先(ステーキ系ファミレス)からスカウトメールあり。

 

 というわけで、現在は週に30時間ぐらいステーキ屋でバイト。それ以外の時間(休みの日や夜)にシコシコとパソコン相手に楽譜を書く生活です。

 

 決して楽ではない生活だが、母が亡くなった後実家のマンションに住むことを許してくれた兄と妹に感謝です。これでかなり助かっている。(次男なのに良いのだろうか?)

 

 ああ、早くYouTubeの視聴や、楽譜の売れ行きがバズって欲しい。

 

 楽譜を書く仕事はリターンがかなりの時差遅れでやってくるので、ワーグナーのルートヴィッヒII世やチャイコフスキーのフォン・メック夫人のようにパトロンの出現を待ち望んでしまうこの頃です。(ある意味実家に住むことを許してくれた兄と妹もある意味パトロンみたいなものかもしれない。ひたすら感謝です。)