「運命交響曲」のフェルマータの謎

 皆さんご存知のベートーヴェンの「交響曲第5番」ハ短調作品67。通称「運命」はシントラーの作り話である可能性も高く、潔癖な人はこの名称を嫌うけど、字数が少なくて済むので場面によっては便利に使っています。

 

 この曲の第1楽章には沢山のフェルマータがある。冒頭の主題からしてそう。

 ところがよく見ると、1回目は普通についているのに、2回目はタイを付けた後半の小節についている。

動きを止める(フェルマーレする)ためなら、この楽譜でいう4小節目はいらないはず。同様にタイの小節にフェルマータをつけているところが、24,128,252,482小節と計5回あります。

 

 これがなぜかということについては古来議論がありました。

 ある指揮者は「タイのついたフェルマータは普通のフェルマータの小節より長く伸ばしてほしいということではないか」といい、

 またある指揮者(ワインガルトナー)は「全体に2小節で一つの単位になってると分析すればよいのだ」と言っていますが、これはおかしい。

 なぜなら、初演時までの楽譜は次のようになっていたから。

 ほかの(24小節以下の)所でも同様。ベートーヴェンが曲の構造としてそういう単位になってたと考えるのは無理がある。

 

 たぶん初演してみて、必要があると考えて書き足したものらしい。

 なぜ書き足したのか?なんで必要になった?

 

 もしかしてやはり、より長くしかったのかもしれない。

 

 私が思うストーリーはこうです。(仮説にすぎないけど)

この小節を足してあるフェルマータの次は、必ず弱音(pまたはpp)で始まっているので、そこで一度切ることにしたのが関係しているのではないか?ということです。

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「たぶんこうだったんじゃないか劇場」 (©チコちゃんNHK)

初演のためのリハーサル(ドイツだからプローベ?)において

 

古株楽団員;「なあ、ベトやん、そこで一遍切るんか?」

ベートーベン;「そうだ、そうしないと次の小節がよく聴こえないじゃないか」

楽団員;「それは、わかるけど。その切る動きで1小節余計に数えてしまうやないの。

     わしらスコアみてへんのやで、どこやってるんか分からんくなってまうやないか、

     そこ分かるように楽譜もしてもらわんと困るで」

ベートーベン;「すまんすまん、それならとりあえず、こことこことか(と小節を示す)とりあえず小節を  

        付け足すことにしよう」

楽団員;「とりあえずそうしとくわ、次やる時はよく考えてな」

 

というわけでしたが、間に合わせで数合わせのために入れた小節をそのままに出版楽譜にしてしまいました。

 

ベートーベン;「しまった、本当はもっと違う記譜にした方がわかりやすかったか、でも初演の時もこれで

        すんなり通せたし、まあいいか」

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本当はニュアンスが違うかもしれません。でも 

  ①初演の現場では往々にしてそういうことが起こる。

  ②次がpで始まるフェルマータの前はあけた方が良いと思う。

   (自分でこの曲を振るときはジャスト1小節分切ってます。)

 

なので、当たらずとも遠くないのではないかと思っています。(あくまでも仮説ですが)

 

変な関西弁に他意はありません。