1959年: 門司市(現北九州市)生まれ。2歳半から高校卒業まで北海道函館で育つ。中学・高校では吹奏楽部で コルネットなどを吹いていた。(全国大会にも出場)
1978年: 九州芸術工科大学入学。音楽音響学を安藤由典教授に、コントラバスを北浦晧二氏に、室内楽を岸辺百百雄氏に師事。
1982年:ローマにて開催された”青少年オーケストラと舞台芸術の祭典”にコントラバスで参加。現地でインターナショナル・ユースオケのメンバーに選ばれる。この頃 エキストラとして九州交響楽団で弾くこともあった。
1984年: 同大学大学院修了。研究テーマは木管楽器特に尺八の内部構造と音響について。
同年 :(株)ソニー入社。業務用録音機器の開発・設計などに従事。
1988年:ソニー退社。荒谷俊治氏に師事。音楽家修行を本格的にはじめる。
1989年より 洗足学園大学付属指揮研究所にて秋山和慶氏、河地良智氏、川本統脩氏、増井信貴氏らに師事。またこの頃より鈴木音楽産業と契約。歌謡曲・スタンダードナンバー等を大正琴アンサンブルに編曲する仕事をする。
1999年:宝塚歌劇団と優先契約を結び、宝塚大劇場/東京宝塚劇場での公演の指揮を主な活動とする。
2018年:宝塚歌劇団との契約を解消。B.G.M.としての活動を開始
NPO法人 純正律音楽研究会 正会員
私は「オーケストラサウンドに魅せられた人間」です。
サウンドについて学ぼうと日本で唯一音響の専門学科がある九州芸工大に入りました。小さい大学(約500人!!)ながらオーケストラの活動が盛んなのも志望動機に影響したと思います。
大学では楽器の音響が専門だったので、楽器関連に就職するのかなと漠然と考えていました。けれどもその年はヤマハその他楽器屋から声がかからず、ソニーが募集しているということでそれも良いかなと思い就職しました。
やりがいもあり待遇その他でも素晴らしい!会社でしたが、録音機器の開発のためのサウンドチェックをしていた時に「ここでサウンドを変えるには、回路をどうこうするより自分が演奏の現場に行った方がよほど変わるのではないか?」と思い、退職してしまいました。(学生時代からプロでも弾いていたコントラバスで何とかなるのではないかと思っていたのもあります。)
そのことには後悔していません。(やめていなければ生涯賃金は何倍も多かったでしょう。)
私はいわゆる音楽大学卒ではありませんし、コンクール歴もなく、音楽エリートとは言えないでしょう。
ただ、変な?大学に通ったおかげで授業としてピアノ・ソルフェージュ・和声・対位法まで学べた上に北浦先生(当時九響主席コントラバス)、岸辺先生(九響コンサートマスター)に直接教わることが出来たこと(これも授業)はラッキーでした。その後荒谷先生に可愛がっていただいたこと、また奇跡的な縁により秋山和慶先生に直接習うことが出来た事など、出会いに恵まれていたと思います。
タカラヅカにひろってもらい、現場での仕事を20年近く経験出来たことは、脱サラとしてはありえないくらい恵まれた人生だったと思います。でも打ち込みや同期演奏が盛んな昨今の音楽シーンに疑問を感じ、クラシック中心に自分のやりたい人生を送ろうと、無謀にもBig Goat Music factoryと称してこんな生活を送っています。
紆余曲折の人生ですが、一貫しているのは「サウンドの探究」と「オーケストラへの愛情」です。
古今の名曲に取り組む暮らしに今まで以上の素晴らしいやりがいを感じています。
実感としてバッハ・モーツァルト・ベートーヴェンといった桁違いの天才たちのスコアと毎日格闘することで、この歳になってやっと音楽が分かる入口にたどり着いたような気がしています。