このホームページを訪れていただいた人は良くお分かりだと思うが、最近バッハ(もちろんJ.S.バッハ)にはまっている。色々な曲があり、本当に宝の泉のようなものだと思う。
そこで私が今まで演奏してきたバッハ作品のことなど徒然なるままに書いていくことにします。
人前でバッハ作品を演奏したといえるのは、高校生のとき(おそらく2年生だったと思う)
音楽の授業でグループに分かれて作曲家について調べて発表したり演奏したりする発表会の時に足踏みオルガンで弾いた
「BWV565のトッカータ部分」
が初めてだと思う。
幼い頃ヤマハ音楽教室にこそ通ったもののその時点でピアノをちゃんと習ったことのない私には無謀な挑戦だったが妹のエレクトーンにヘッドホンをつけて毎日さらった。本当はフーガも練習したのだがさすがに難しく(手鍵盤だけではめちゃむずな場所が何か所かある)それは断念した。
ありがたいことに本番はそれなりに受けた。この時バッハを選んだのは、本で「バッハこそ音楽の基礎」みたいなことを読んで、勉強しなくっちゃと思っただけでまだあまりよくわかってなかったかも。
同じ頃吹奏楽部でBWV1004のシャコンヌの吹奏楽編曲を何回か練習した。これは本番にはかけなかったが私のシャコンヌ体験の始まり。
大学に入るとなぜかピアノが必修科目だったので、はじめて先生について毎週ピアノを習った。発表会(期末試験!)にシャコンヌ(全音のピース)をやろうと思ったが先生に秒速で却下された。
ブランデンブルク協奏曲を始めて演奏したのは一年生の終わりころ、室内楽の授業で(そんなものもあったのです)先輩の代役でコントラバスで参加した4番。
岸辺百々雄先生にみっちり指導していただきました。
この授業では後に6番も指導していただきました。
大学では勉強(一応専門は音楽音響学)以外はオーケストラサークル三昧だった。
大学院に入ってからの夏休み、チェロのH君(今は名の通った会社の偉い人)に誘われ、堤俊作先生率いる日本がユースオーケストラのメンバーとしてローマでの音楽祭に参加した。但し思ったほど人が集まらなかったので我々の持ちネタは未完成交響曲とバッハの2本バイオリン協奏曲、管組3番が中心。なので何回もこれらを演奏した。(この時インターナショナルユースオケのメンバーとして海外の仲間とマーラーなどを演奏したのは得難い体験だったがそれは別の話)
このころになるとだんだんバッハ野郎度が増してきた。
そして私は自分の卒業演奏会、とは言っても学校のホール(多次元デザイン実験棟)で勝手に開いたコントラバスリサイタルだが、でプログラムのメインに1004のシャコンヌを弾くことにした。もちろん、無謀も無謀、大無謀で今から考えると赤面ものだが、練習にはコントラバスの師匠の北浦先生や岸部先生にも(特別に)レッスンをうけた。
出来はともかくこのことが物凄く勉強になったのは確か。
社会人になった。
仕事は忙しかったが、日曜日は市民オーケストラで楽器を弾きまくっていた。
会社で昼休みに製品試験用のブースで小さい楽器ならさらうことができたので、リコーダーを練習してブランデンブルクの4番を市民オケの仲間と演奏するなんて言うのも楽しかった。
当時それなりに給料が割と良い会社だったが使う暇がなかったので、最初のボーナスでピアノを、何回目かのボーナスでチェンバロを買った。友達の友達がチェンバロ職人を始めたところだったので相場よりはかなり安かったと思う。
一度チェンバロになじんでしまうと平均律のピアノよりは気持ちよく響くので自分でポロポロ弾くときはやはりバロックなどにシフトしていった。
人前では、ブランデンブル3番やメサイアでチェンバロを担当したことがある。音楽の捧げもののトリオソナタも挑戦したが私には難しすぎた。
とか言っているうちに私は会社を辞めてしまった。
この後は洗足の指揮研究所と縁があり秋山和慶先生に習うことが出来たなど色々な物語があるのだが、特にバッハ関係の面白い話はないので省略。
以上書いてみたら本当に駄文だった、ここまで読んだ人には感謝いたします。