天才と秀才 「禿山の一夜」雑感

 次に発表する曲として、いま「禿山の一夜」に取り組んでいます。ご承知とは思うがこの曲には色々なバージョンがあります。一番有名なのはリムスキー=コルサコフの編曲したやつ。最近はアバドが方々で演奏して結構知られてきた「原典版」も結構有名。マニアに人気なのは歌劇「ソローチンツの定期市」。合唱のパワーも有り、比べると一番の評価あり。

 もちろんリムスキー=コルサコフは色々なスケッチを見比べて、時間もかけ、誠実に仕事したとは思うのですが、私が色々聴いたり調べたりして思うのは

「リムスキー版はソツなくまとまっているけど、ムソルグスキーの毒が薄まっていてつまらない」

 いやいや勿論リムスキー=コルサコフの手柄は素晴らしいものがあるし、私ごときが偉そうに言えるものではありません。でもやっぱりなんか「才能の差」を感じてしまうのですね。なんか個性的な文章を編集部のベテランに添削されてわかりやすい文章になったけど、つまらなくなってしまった、みたいな。

 リムスキー=コルサコフの有名曲といえば「シェヘラザード」や「スペイン狂詩曲」が思い浮かびますが、それらを好きか、どう思うかというのと結びつくとは思います(私はハーモニーや展開的にはそれ程でもないのに卒なくまとめる力とオーケストレーションのうまさで有名になった曲に感じます)

ここで唐突に私の意見

 「ムソルグスキーはかなりストラビンスキーに近い、というか何十年も先取りしている。」

です。薄まった毒でこんなに名曲なんですから、どんだけ天才か。

 もしムソルグスキーのまわりにバラキレフよりも進んだ人がいて、もしくはディアギレフ的な人がプロデューサーとしてついていたら、「原典版」を発表した時点でムソルグスキーの天才が世に知られ、違った後半生を送れたのではないか。アル中にならずに済んだのではないかと妄想してしまいます。

 というわけで今、書いています。コントラバスとピアノのための「禿山の一夜」(もちろん底本はソローチンツの定期市。

 かなりワイルドに仕上がると思います。名付けて

「悪魔が来りてバスを弾く」

乞うご期待